ロック 第20回 Eddie Cochran - Summertime Blues
久しぶりになってしまいました・・・。
記念すべきロックの20回目。エディ・コクランの1958年の作品、「サマータイムブルース」です。
彼女と別れたり、仕事で4月の終わりから8か月続くセミナーに行かされることになったり、それがなくなりそうになったり、やっぱり行くことになりそうだったり・・・。
ちょっと色々ありまして、ばたばたしてまして、更新が滞ってしまいました・・・。
本当に仕事関係のセミナーに参加することになったら、更新はどんどん滞りそうです・・・。小説よりも仕事の本を読むことに追われそう・・・。
音楽方面だけでもちゃんと続けていきたい。
というわけで、エディ・コクランです。
代表曲の一つですね。もしかしたらThe Whoのカバーしたバージョンのほうが有名なのかもしれませんが。
この時代のロックンロールらしくて好きです。
歌詞の内容は、夏だってのに仕事で嫌になっちゃうぜ!夏の憂鬱は吹き飛ばせないな!って感じです。仕事のボスやら議員さんとの掛け合いの部分は面白いですし印象的ですね。これのおかげですぐ覚えちゃいます。
レコードではあの部分もエディ・コクラン本人の声らしいです。動画のライブではほかの人が歌ってるみたいですが。横から入ってくるたびにちょっと笑っちゃうエディ・コクランがなんだかかわいらしい。
次回もエディ・コクランかな。
コツコツ続けていきます。
ロック 第19回 Buddy Holly - Rave On
今回から1958年の作品に入っていきます。
バディ・ホリーの「Rave On」からスタートです。
まず「Rave on」の意味なんですけど、これが検索してもいまいちわからず。「Rave」に、パーティ、とか、大騒ぎ、とかいう意味があるようなので、そういった意味の造語なんですかね。
前後の歌詞は、君に狂っちゃうよ、夢中だよ、みたいな感じです。
なんとなく、ニュアンスは伝わる感じですね。君にRave onなわけですね。
さて、バディ・ホリーですよ。前回紹介したときは、すごくダサいのにどうしても気になっちゃう、みたいな紹介をしました。
今回は、あんまりダサくない・・・!!!
いやむしろすごくいい・・・!!!
ロックンロールなんだけど、我が道を行く感じは変わらず、かっこよくなってやがる。
ちょっと聞いたら、すぐバディ・ホリーだってわかるオリジナリティはそのままに、かっこよくしてきやがった。ダサいって思ってた歌い方も、こころなしかかっこよく聞こえてくる。ペギースーから少し変わったかな。
とてもいいです。この時代の曲の中で、1,2を争うくらいのお気に入りですこれ。
日本人にも親しみやすいメロディーな気がします。聴きやすい。覚えやすい。
ビートルズが尊敬してたってのも、なんかわかります。
ますますバディ・ホリーの虜です。
日本文学第16回 国木田独歩 - 武蔵野
国木田独歩の「武蔵野」です。
1898年の作品。発表当時は「今の武蔵野」というタイトルでした。
素敵な、画像ですね・・・。
あらすじ、は、ありません。
ひたすらに、当時の武蔵野の景色を、詩的に紹介していきます。ストーリーがありません。小説ではなく、随筆、エッセイと言ったほうがいいんでしょう。
浪漫主義に分類されているようです。これはもう、よくわかりません。
でもすごくよかった。
多分読んだタイミングが良かった。
ものすごく私的な領域の話なんですけど、最近彼女と別れたり、会社の人事に納得いかなかったり、心が乱れていたんですよね。そんなときに読んだんです。
綺麗な風景、詩的ながらも簡潔な文章、すーっと心に入ってきました。
地域的にも、自分の生活圏の近くで、親しめたのもあったかもしれません。
散歩にはまっていた時期があって、5時間くらいかけて、20数キロとか歩いたこととかあるんだけど、ちょうどこの地域だったかなって。もちろん景色は全く違いますが。
でも、こんなところにこんな景色があったのか、と思ったり、突然生活を感じたり、なんだか近いものを感じました。それは地域関係なく、どこともなく歩いていれば感じることなんだろうけど。そんなことを考えて、今風に言えばエモい気分になりました。
ちょうどいいときに、いい作品に出会えてよかったです。
日本文学第15回 泉鏡花 - 高野聖
1900年の作品。
泉鏡花の代表作で、日本近代文学の、幻想小説のさきがけと言われています。
あらすじです。ちょっと長いです。
~若狭へ帰省する旅の車中で「私」は一人の中年の旅僧に出会い、越前から永平寺を訪ねる途中に敦賀に一泊するという旅僧と同行することとなった。旅僧の馴染みの宿に同宿した「私」は、夜の床で旅僧から不思議な怪奇譚を聞く。それはまだ旅僧(宗朝)が若い頃、行脚のため飛騨の山越えをしたときの体験談だった。……
若い修行僧の宗朝は、信州・松本へ向う飛騨天生峠で、先を追い越した富山の薬売りの男が危険な旧道へ進んでいったため、これを追った。怖ろしい蛇に出くわし、気味悪い山蛭の降ってくる森をなんとか切り抜けた宗朝は、馬の嘶きのする方角へ向い、妖しい美女の住む孤家へたどり着いた。その家には女の亭主だという白痴の肥った少年もいた。宗朝は傷ついて汚れた体を、親切な女に川で洗い流して癒してもらうが、女もいつの間にか全裸になっていた。猿やこうもりが女にまとわりつきつつ二人が家に戻ると、留守番をしていた馬引きの親仁(おやじ)が、変らずに戻ってきた宗朝を不思議そうに見た。その夜、ぐるりと家の周りで鳥獣の鳴き騒ぐ声を宗朝は寝床で聞き、一心不乱に陀羅尼経を呪した。
翌朝、女の家を発ち、宗朝は里へ向いながらも美しい女のことが忘れられず、僧侶の身を捨て女と共に暮らすことを考え、引き返そうとしていた。そこへ馬を売った帰りの親仁と出くわし、女の秘密を聞かされる。親仁が今売ってきた昨日の馬は、女の魔力で馬の姿に変えられた助平な富山の薬売りだった。女には、肉体関係を持った男たちを、息を吹きかけ獣の姿に変える妖力があるという。宗朝はそれを聞くと、魂が身に戻り、踵を返しあわてて里へ駆け下りていった。 ~
幻想小説と言われるだけあって、不思議なお話です。現実ではありえないことが起こります。
でも前回の「外科室」みたいな話より、こっちのほうがよっぽど好きだな。
前々回紹介した「歌行燈」同様、リズムがすごくいいです。すいすい読めます。「私」と一緒に「旅僧」の話にどんどん引き込まれていってしまいます。鏡花の特徴は、体言止めを駆使したリズム感のある文体、なんだそうですが、気持ちよく読めていいですね。臨場感の必要なシーンなんかでは、とても効果的に感じました。
蛭が出てくるシーン、すごく気持ち悪いけど、迫力があって良かった。あの気持ち悪いシーンがあって、後に出てくる「女」の、妖艶さが際立ってる感じがしました。
話としては教訓めいてますよね。スケベな男が痛い目にあい、真面目な僧が、危ないところを助かる、みたいなところは。勧善懲悪、とまではいきませんが。
なんだか教科書に載っていそうな雰囲気がする。
全然嫌いではないのですが、どうも時代がかって感じちゃいます・・・。
読み終わってモヤモヤする感じがないんですよね。
そういう意味では、森鴎外の浪漫主義とはだいぶ違う気がしました。
と、いうか、浪漫主義で紹介しちゃいましたが、ちょっと違うのかもしれません。ただ超現実的なことが起きちゃってますので、写実主義ではないですよね。今後出てくる、自然主義でもないですし、時代的にも浪漫主義に入れちゃっていいのかな。わかんないけど、カテゴリーは浪漫主義にしていおきます。
さて、泉鏡花は今回でいったんおしまい。
浪漫主義のこの時代は、個性豊かな作風の作家さんがたくさん出てくるそうなので、楽しんで、読み進めていこうと思います。
日本文学第14回 泉鏡花 - 外科室
泉鏡花の、「外科室」です。
1895年の作品。「歌行燈」から、15年溯りました。
泉鏡花の初期の作品です。
あらすじです。
~貴船伯爵夫人は胸部切開の外科手術を受けることになったが、自らの秘めた愛を口走ることを恐れ麻酔をかけられることを拒み、手術中にメスで自らの胸を突き死んでしまう。そして手術にあたった高峰医学士も間もなく自殺してしまう。二人は9年前に躑躅満開の小石川植物園で出逢い恋に落ちていたのであった。~
wikiさんありがとう。
恋のお話です。短いです。すごく短いです。文語体で読みづらいのですが、30分もかからずに読めちゃいます。
一目ぼれを、9年間引きずり続けていたお話です。しかも男女お互いに。話したこともないのに。
いやそんなのあり得ます?さすがにそれはあり得なくないですか?!
そんな経験をしたことがある人が実際にいたら教えてほしい。
短すぎるので、9年の間に、二人にあった何かを、書いてないだけって可能性もある気がします。と、いうか、そうでないと無理がありすぎでしょうこれ。
単純に、9年前に一度だけ見た人の顔を、覚えているはずがないでしょう・・・。
それともそんな常識さえも覆すような、まさに運命の恋だったのでしょうか・・・。
私にはちょっと、ぶっ飛びすぎに感じられてしまいました・・・。
だって、お互いルックスだけしか見てないじゃん。
人間、中身が大事だと思う・・・・・・・・・。
日本文学第13回 泉鏡花 - 歌行燈
泉鏡花の、「歌行燈」です。
今回から何回か、泉鏡花の作品の予定。
そして私はまた、順番を間違えました。先に読むべき作品がいくつかありました。
1910年の作品なんですよ、これ。前回紹介した、樋口一葉の「十三夜」が1895年の作品ですから、15年も飛ばてしまった・・・。
まぁそんなに厳密に時代順に読んでるわけではないですし!
別に誰に向けて書いているわけでもないし、気にしない、気にしない。
泉鏡花ですが、このブログでも紹介した、尾崎紅葉の「二人比丘尼 色懺悔」を読んで衝撃を受け、文学を志したんだそうです。書生時代に養ってくれた恩人でもあるんだそうです。
紅葉の葬儀で門弟代表として弔辞を読んだのも、鏡花だったそうですよ。一番弟子というところなんでしょうかね。
wikiより、簡単な作品の紹介です。
~恩地喜多八は能のシテ方宗家の甥であったが、謡の師匠宗山と腕比べを行い自殺に追い込んだために勘当される。宗山には娘お三重がいたが、親の死によって芸者となっていた。肺を病み流浪する喜多八は偶々お三重と会い、二度と能をしないとの禁令を破ってお袖に舞と謡を教える。
喜多八の伯父の前でお三重が『海人』(観世では『海士』)の「玉之段」を舞う場面がクライマックスといわれている。鏡花は元来能に深い造詣があった。深夜に響く鼓と謡、舞と海音の描写等が見られる。
1943年に成瀬巳喜男監督、花柳章太郎、山田五十鈴主演で映画化され、1960年には衣笠貞之助監督、市川雷蔵、山本富士子主演で再度映画化された。~
画像は2回目の映像化のDVDの画像みたいです。
さて、結構読むのは難解でした。
二つの場面が行ったり来たりして少し複雑なことと、能が深くかかわった作品でして、そのあたりが特に。
能の知識、ありませんもので・・・。
それでもなんとなくストーリーは追うことができました。
内容を読み解くのは難しいのですが、読むのは苦にならないんです。リズムがすごくいいので。歌ってるみたいに読み進めていけちゃいます。あまり意味があまりわからないままにですが・・・。
ストーリーもとても良かったです。後で少し解説に頼りはしましたが。
最後に二つの場面が一つになっていくのと、正体がわからなかった登場人物たちが何者なのか、最後のほうで明かされるシーンは、読んでいてゾクゾクきました。少し時代がかった舞台を見てるような気分になりました。
「歌行燈」と、検索すると、この作品の舞台、桑名の日本料理屋「歌行燈」が一番にお出てきました。
もちろんこの作品から屋号をとっているそうです。
東京、神奈川にも支店があるみたいなので、今度行ってみようと思います。
ロック 第18回 Elvis Presley - Jailhouse Rock
今回で1957年終わり。最後はエルヴィス。
「Jailhouse Rock」です。
邦題は、「監獄ロック」ですね。
私この曲は知ってたんですよ。ホフディランのアルバムに、カバーしたのが収録されていたので。エルヴィスの曲だってことまで知ってました。逆に言えばこの曲しかエルヴィス知りませんでした。
色んなとこでカバーされてる、ロックンロールの名曲ですよね。個人的にはロックンロールの完成形だと思っています。完成しちゃったなって。これ以上はないかなって。
歌詞もなんだかいいんです。恋の歌じゃないのがいい。なんだかドラマチックで、ミュージカルみたい。
1958年、エルヴィスはアメリカ陸軍からの徴兵指令を受けます。当時アメリカは徴兵制でした。期間は2年。1960年に満期除隊します。
有名人には、特例措置もあったみたいです。しかし、マネージャーのパーカー大佐は、エルヴィスの世間での評判を上げるためにも、敢えてそれを利用しなかった。この判断が正しかったかどうか、誰にもわかりませんよね。
結果として、この2年が大きかった、とも言われてるようです。この2年でエルヴィスは大人になってしまった。好青年になってしまった。ロックンローラーではなくなってしまった。
不在の間にも、未発表曲のレコードを発売し、人気は保っていました。
除隊後も、以前と変わらず、ヒット曲を飛ばします。
しかし、彼の楽曲は、ロックンロールではなくなっていってしまうのです。
「監獄ロック」、「ハウンド・ドッグ」を作った、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのコンビが離れてしまったのも、大きかったのかもしれません。
そして彼の勢いがなくなっていくのと同時に、ビートルズが表舞台で大きく花開いていくことになるのです。
しかしそれは、もう少しだけ先の話。
今はまだ、もうすぐ終わりを迎える、古き良きロックンロールの時代です。
次回から、1958年に入ります。