日本文学第2回 幸田露伴 - 五重塔
日本文学の2回目。
写実主義は坪内逍遥が西欧から引っ張ってきた考え方で、それに対抗して、日本の古典も大切にしようよ!!っていうのが、擬古典主義。
例によってとんでもなく簡単に言ってるので、詳しくはwikiとか見てね。
そんな擬古典主義の代表作が、この「五重塔」です。
これまた超簡単にあらすじを言いますと、鈍いけど仕事は超丁寧で腕も確かな通称「のっそり」十兵衛と、仕事もできるし人望もある源太親分。
どちらが五重塔を建てるのか揉めて、最終的には十兵衛が建てるが、建ててすぐ大嵐がやってくる。
それでも十兵衛が丹精込めて建てた五重塔はびくともせず。
みたいな話。
この作品は言文一致体ではなく、文語体なのですが、文章はリズムが良くて読みやすかったです。慣れもある、多分。
内容は小・中学校の道徳の授業みたい。
職人気質で頑固だけど、一本筋の通った(ように見える)十兵衛と、他人に気を遣え、人情厚い源太の対比。
どちらに感情移入しますか?と問われているかのよう。
個人的には源太のほうだけど、これ、作者の中には正解があったのか気になります。
そもそも、「のっそり」十兵衛は、腕はいいがそののっそりした性分から人には軽んじられ、ロクな仕事が回ってこず、それに耐えかねて自ら棟梁に立候補するわけなのですが、ロクな仕事もしてこず、仕事は丁寧で腕がいいとは言っても、自分が中心になって仕事をしたことがないのに、いきなり五重塔って、無理がありやしませんか。
とか思っちゃって、最後のほうは集中できなかった。
その辺はあまり突っ込むべきところではないのかもしれないけど。主題とは関係なさそうだし。
気になっちゃったんだもの・・・。
建設中の描写もほぼなかったですしね。
源太の部下に襲われて、十兵衛が怪我をしてしまうんだけど、それをおして現場に来て、いつもと変わらず仕事をする姿に、現場の職人たちも負けじと頑張って仕事をする、ってシーンがあるくらいかな。
背中で語るタイプ、と言えばそれまでなんだろうけど。
現代の価値観でいえば、ちゃんと休めよ、って話になってしまいますね。
今の10代の方にも、この価値観は通じるのだろうか。
忘れられていく価値観なんでしょうね。平成も終わりますし。
それでいいような気もします・・・。
モデルとなった天王寺の五重塔は、昭和32年、ある男女の放火心中により、焼失してしまいます。
残念。見たかった。
それでもそのうち機会があれば、五重塔跡に行ってみようかと思います。